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遺跡

愛蓮亭

新増東国与地勝覧』に収録された任元濬の<愛蓮亭記>によれば、愛蓮亭は成宗5年(1474)利川府使として赴任した李世珤が建てたとなっている。 初めに官衙の東側にある利川客館の南側に小さい東屋があったが、彼が赴任した当時は手入れがされずに傾いていた。 李世珤はこの東屋を修理して前よりもっと大きく建てたが、低くもなく高くもなく、贅沢すぎないと言ったそうである。 東屋の下の方は自然湿地だったが四角形の方沼を掘りハスの花を中央に植えたといわれる。 領議政だった申淑舟に命名を依頼し、愛蓮という名前になった。

中宗4年(1509)頃に府使李純彦が 愛蓮亭を大きく増築した。 新増東国与地勝覧と文集を調べると、金安國、月山大君、徐居正、その他、曺偉、姜景敍、金鎭商達が愛蓮亭を素材にした詩が残っている。 驪州の世宗大王の陵に参拝しての帰り道に、歴代の国王がここを訪問した。 実録には中宗がここで養老宴を施した記録があり、粛宗と英祖、正祖が訪問した記録もある。 また、[與地圖書]によれば、朝鮮時代の安興池は、周囲が1250尺(約388m)で、府の東側5里の地点に安興里堤堰があるとされているが、規模が大きいけれど少し小さい他の堤堰は全く記録されておらず、どの地図を見ても安興池のみ表記されているのには何か特別な理由があったためだと考えざるを得ない。

利川市中里川路113番ギル404
愛蓮亭 写真
權鈞墓地

權鈞(1464∼1526)は、成宗から中宗の時代までの官僚で、成宗実録編纂に参与し戶曹、禮曹判書、漢城府判尹を経て右議政を務めた人物である。

墓地に置かれている亀の形の受け台石である龜趺と大理石の碑身、竜の形の螭首から成る神道碑と墓碑、望柱石、文人石などの石造物は高麗から朝鮮時代までの形態が表れた珍しいもので、学界の関心を集めている。

利川市慕加面山内里 山 33-1番地
Tomb of Kwon Gyuu
六槐亭
六槐亭は朝鮮中宗14年(1519)「己卯士禍」当時、趙光祖をはじめとする新進士大夫が大きく没落した時、乱から逃れて帰郷した南塘厳用順が建設した。当代の名高い賢人である金安国、姜隱、呉慶、成聃齡、任鼐臣、厳用順など六人の賢人が詩会と学問を講論し、友情を称える意味で6株のケヤキを植えたことから六槐亭と呼ばれている。上の六人の賢人を「塊亭六賢」という。
利川市中里川路113番ギル404
六槐亭 写真
映月庵 石造光背および 蓮華座台

映月庵創建当時に造成されたものと見られる石造光背と蓮華座台で、その中心に安置した仏像が無くなったまま倒壊していたものを大雄殿の前に復元したものである。 中央の仏像は1980年新しく造成して安置したものである。 花崗岩1石で作った光背は、先がとがった丹形挙身光の形に整えられている。

表面には2條になった隆起線で頭光と身光を表し、頭光の真ん中に円を中心に単葉8弁のハスの葉を廻らして周囲には火焔文と唐草文がある。 頭光の上部と身光の左右に3尊の化仏坐象があり、真ん中に傷がついていて仏像の後ろに付着していた跡がある。 全体の高さが156㎝、幅118㎝、厚さ45㎝の規模である。 蓮華座台は正反対の地台石の上に八角の下台石と、同じく八角の眠像・仰蓮座・蓮座の4つの部分を1石ずつで造成連結してある。

繊細で流麗な彫刻の腕前は優れており、特に仏身を支えている仰連座に彫られたハスの葉は、たった今開いたかのように躍動感にあふれている。 全体の高さは107㎝である。 全体的な調和と、繊細で洗練された彫刻の腕前から推し量ると、仏教美術の全盛期であった統一新羅~高麗初期の作品と推定される。

利川市官庫洞 438
映月庵 写真
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